【最新刊プレビュー】DAVID BOWIE 追悼対談 ボウイは、自身の死を鮮やかに描いた『★』で、ロックの成熟した死を創造した! /サエキけんぞう(ミュージシャン)×吉村栄一(ライター/編集者)

frontbowie01

2016年1月10日、デヴィッド・ボウイ逝去。SNSで世界中に彼の死亡が告げられた瞬間から、世界中のレコード店の棚からアルバムが消え、それは亡くなって半年後も続いている。東京・下北沢の名物店「フラッシュ・ディスク・ランチ」も同様で、今回の撮影のために店主の椿正雄さんがやっと1枚『Ziggy Stardust』の中古をストックから見つけてくれた(上の写真)。ミュージシャンのサエキけんぞうさんと、ボウイのライナーノーツを担当した吉村栄一さんが、ロックスターの死と音楽を語り合う。

ボウイの死を知って聴くと印象が変わる『★(ブラックスター)』

吉村 サエキさんは1月10日はどこでボウイの死を知りましたか。

サエキ ちょうどビートルズのニコ生のイベント中で、自分がジョンの「アスク・ミー・ホワイ」を歌っていたら弾幕に「ボウイが死んだ…」と流れて衝撃を受けました。まさに「ホワイ?」でしたね。大瀧(詠一)さんが死んだときはコミケにいたんですけど。吉村さんは?

吉村 僕は家でテレビを見ていたら、高橋靖子(※日本のスタイリストの草分け的存在で、ボウイのスタイリングなどを担当)さんから、「ネットにボウイが死んだと流れている」と連絡があって、「絶対に誰かに騙されてますよ」と。しばらくしたら本当のようで、オフィシャルホームページを見て確認して、2~3日なにもできませんでした。

サエキ 2日前の8日のボウイの69歳の誕生日にアルバム『★』が出たばかりだったから、最初はウソだと思うよね。

吉村 死亡のニュースを見て、『★』をリリースしているソニーに連絡したんですが、「きっと彼は望んでいないはずだから、追悼はやらないでおこう」ということになりました。サエキさんは『★』はどうでしたか。

サエキ 亡くなったことを知ってからは全然違って聴こえてきます。特に1曲目の「Blackstar」は冥界・霊界のシミュレーションのようで、臨死に近い、強力なまどろみを感じます。死んでからわかったんですけどね。

吉村 去年の暮れに『★』の3曲目の「Lazarus(ラザルス)」と同名の音楽劇がニューヨークで上演されたんですが、死後にアルバムを聴くと、ラザルスとアルバムは表裏一体で、自分の死をはっきり意識しているんですね。それと、彼のサイン入りの墓標のような真っ黒な本『DAVID BOWIE IS…PERSONAL PORTFOLIO BLACK EDITION』を合わせて、アルバム、音楽劇、本の3つがセットで遺作だったんだなと思いました。

ボウイの死は、ロックにとって“福音の死”

サエキ 僕はロックは死の音楽だと思っています。ジミヘンとジャニスとジム・モリスンの死によってロックはエスタブリッシュしたと思う。さらに重要だったもう一つはジョン・レノンで、彼の音楽は90年代のクラブ音楽にも大きな影響を残し「ムーブメントの死と再生」という刻印をロックに刻んだと思います。

吉村 ロックスターの死によってセールスが上がってビジネスになってしまうこともわかりました。

サエキ そう、それまでのロックスターの不慮の死、悲劇の死と、ボウイの全力を尽くした末の死は鮮やかに対比できて、ボウイは祝福すべき「ロックの死」を身を賭して作り出したなと思いますね。こんなに鮮やかに死を描いたロックスターはいなかったし、ロックにとって福音の死ですよ。

吉村 『★』も亡くなってから出ると色が付くので、その前に高評価を見届けてから死んだのは幸せなことかもしれませんね。

78年のボウイがニューウェイヴを教えてくれた

吉村 サエキさんが徳島大学歯学部に在学中に、大阪にボウイを観に行って音楽を目指した話は有名ですね。

サエキ パール兄弟のギターで荻窪出身の窪田晴男がボウイフリーク。そうした70年代に加藤和彦さんがプロデュースしたバンド「Rouge(ルージュ)」の背中を見ているような人たちが73~5年ぐらいは、サエキのいた千葉にもチラホラいた。彼らはロンドンブーツを履いたり、ラメのジャケットを着たりしていた。派手に着飾る人たちは間違いなくボウイのファン。片やアメリカンロックが好きで、ザ・バンドや細野晴臣さんの背中を見ているような人は、レザーを着たり、帽子をかぶったりして、グラム好きとは明らかに格好が違う(笑)。僕はジギーにいまいち乗れなくて、グラム期のボウイはピンとこなくて保留にしていました。

(続きは最新号で!)