中古レコード屋の店主 里葉風流の「レア盤発掘に王道なし」 #023 灯台もと暗し ~布谷文夫/「悲しき夏バテ」<MR-5037>

 通販オークションを長年継続していた関係で、レア盤ショップとしての認知度はジスボーイをオープンする前からそれなりにあった気がします。「広島ってレア盤がよく出てくるんですね。」なんて言われることも多かったけど、本当のところは音楽雑誌の広告やマガジン・タイムマシーンによる県外出張による買取がほとんどでした。ですから「自分が狙っている大物は地元からは出て来ない」という先入観が常に頭にあり、基本的にサーチ・ライトを遠くに当ててこれまで買取事業を継続してきた気がします。今回は、そうした中でひょいと地元から出土した激レア盤の話をいくつか紹介してみます。

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 私が記憶する最古の地元あっぱれ買取は、同じ町内の同級生宅から出た昭和40年代ロック系コレクションでしょう。町内の変わり種M君とは学校が違った関係で面識はなく、「ビートルズ・コレクター」との噂を聞いて会いに行ったのがそもそものきっかけでした。訪ねてみるとビートルズのビの字もなく(むしろビートルズは嫌いで)、陳信輝、フードブレインといったあまり見慣れないクセのあるLPの塊でした。その頃は駆け出しでよく分からなかったこともあり、初めて出た東京レコード祭のセールで一気に出品してかなり人気を取りました(今から考えるとちょっともったいなかったかも)。

 その昔マガジン・タイムマシーンで64年の「スイング・ジャーナル」をチェックしていたら、旧表示の住所で広島県豊田郡安芸津町!、三津!!、向組!!!、というのを見つけ、本当に心臓が飛び出すほどビックリしたことがありました。何と近所(我が家から歩いて3分)のFさん(72才)の名前がレター欄に載っていたのです。これは視点を常に遠方に見据えたモードで作業しているためで、あまりの至近距離感に心底当惑してしまったわけです。音楽のオの字も感じさせないFさんに大スクープを伝えたら、「聞いたことのあるような雑誌じゃのー。たまに喫茶店でジャズとか聴いとったけど、手紙出したのは全然覚えとらん。」とのことで、当然のことながらレコードも皆無でした。(すみません、これは不成立話ですね)

 瀬戸内海の小島に住むビートルズ・フリークだったAさんから、20年前にダビット・ピールの『ローマ法王とマリファナ』(帯付!)を買取したことがあります。島で唯一の今はなきNレコード店のおばちゃんは、ある日 “ジョン&ヨーコ制作”と書かれた新譜案内LPをたまたま見つけます。「Aさんが買ってくれるかもしれない。」と考え、悩むことなく発注しました。ちょうど入荷した直後たまたまAさん来店。「ちょっとだけ悩んだけど買ってしまった。」らしい。その2~3日後に出された東芝からの回収指令が今は歴史となっています。Aさんが当時2000円出費したLPに、私は40万円を出費してしまいました。その他のリアルタイム・コレクションを加え、トータル60万円の買取でした。受取の領収書を書いてもらい、「これが現金です。」と60万円入れた銀行の現金封筒を差し出すと、無言でそのまま(中身も確認せず)ポケットに入れられたのが強烈に印象に残っています。

 94年のジスボーイ・オープンに際し、当然のことながら告知ちらしを印刷しました。そこにはセール品情報だけでなく、(本命の)買取情報もしっかりと載せました。東広島という、レア盤宝庫の東京や大阪の都市部からみればちょっぽけな田舎町に過ぎないところからレア盤が出てくるはずもないと分かっていながら。なんとオープンした翌日、そのちらしを見て一本の電話がかかってきました。「広告に載ってた布谷文夫のレコード持ってるんですが、本当に7万円で買ってもらえるんですか?」それから30分もしないうちに来店されたダンディなNさんがバッグから不安そうに出されたLPには、電話で聞いてた通りしっかりと帯が付いていたのでした。全国行脚の買取を重ねる中、北海道で弘田三枝子の発売中止別ジャケEPを見つけたこともありました。山陰の片田舎から「春一番」10枚組自主盤が出てきたこともありました。そんな時いつも「(レア盤はまだまだ全国に眠っている)日本は本当に広い」と思うのです。そして、意外と「世間は狭い」とも考えるのです。 

里葉風流(さとばふうる)